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ご近所巡礼15番・出雲乃伊波比神社(熊谷市板井)はしか厄除け、ありがたし。

 昨日のサイクリングで、立ち寄る。


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 熊谷市板井の出雲乃伊波比神社(いずもののいわいじんじゃ)、和田川(More参照)のほとりに坐す。

 和田川に沿って、さほど規模ではないが、和田川の清流を守る環境保存が進められてきた、そのかいもあってその流れは澄みきっている。

 この日も、カワセミが川面へダイビングするのを目撃した。

 サイクリングには格好、とても気持ちいい里山の川に沿う道である。


 さて、出雲乃伊波比神社は、武蔵国男衾郡の式内社三座の一つであった。

 画像のとおり社前には和田川を渡るために橋が架かっている。

 出雲の神の社前だから、八雲橋という。


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 神社の由緒によると

 本社は遠近信徒多く、殊に麻疹の流行の時は平癒を祈り参詣する者夥しく、社前和田吉野川の架橋を八雲橋といふ。神詠とて「八雲橋 かけてそたのめ あかもかさ あかき心を神につくして」この御詠を唱ひつつ架橋の下を潜り渡れば、必ず軽症にして平癒すと、参詣者群をなせり。

 とあるという。

 「あかもかさ」というのは、「あかもがさ《赤疱》」で「はしか」の古名であるそうな。

 「はしか」と云われるようになったのは、江戸時代以降で、「あかもがさ」の記述は平安時代の「栄花物語」から見えるそうだ。

 江戸時代には「痘瘡は見目修め、麻疹は命定め」と云われていた。

 「天然痘は跡が残るので器量が害される、はしかに罹るとたやすく死んでしまう」と、いうことだ。

 「はしか」は大人も感染するが、子供なら、たいてい一度は感染するし、どちらかといえば、罹らないとかえってやっかいなことになる。

 だから、この一度の感染をどうすれば軽症でやり過ごせるかということは大変なことで、はしか絵という予防や治療のための啓蒙的な浮世絵がたくさんの残されている。

 江戸時代まではもとより、意外にも貧困にあえいでいた戦後間近まで、これで命を落とす乳幼児は少なくなかった。

 そいうことだから、大流行の折々に、八雲橋の下を藁にもすがる思いで、御詠を唱えながら潜る人々の列を、想像してみよう。

 高熱でぐったりとした子供を抱きしめながら祈った母たちの姿まで思ってもみよう。


 もちろん、神仏に願いを祈っててもどうにもならないことは、分かっていたはずだ。

 だが、祈る神がおいでである、それだけでありがたいものなのだ。

 
 出雲乃伊波比神社、ありがたし。





 

 
 




 和田川は延長9Km、流域面積 12.6Km2の荒川水系の一級河川。
 源流(最上流)は比企郡嵐山町古里の農業用溜池であり(一級河川滑川の源流に近い)、
 直接的な山地水源は持たない。もっとも溜池自体の水源は丘陵地帯に降った雨や湧水である。
 和田川の河川管理上の起点は、江南町板井に設置されている。
 管理起点からは
比企丘陵の狭間を農業排水を集めながら東へと流れ、大里郡江南町、
 比企郡滑川町、熊谷市、東松山市を経由し、大里町下恩田で和田吉野川の右岸へ合流する。
 丘陵と台地の間を流れる河川だが、流路の形態は扇状地河川というよりも山地河川に近い。

 和田川流域の丘陵部には数多くのため池設けられていて、それらからの水は
 田んぼで使われた後に、悪水(農業排水)として和田川へ流れ込んでいる。
 その悪水を再び農業用水として再利用するために、和田川には数箇所に取水堰が設けられている。
 和田川から取水した用水の排水先は和田川であり、和田川の水も反復利用されている。
 なお、新編武蔵風土記稿の大里郡之一(11巻、p.84)によれば、和田川という名称は
 最下流部付近の大里郡和田村(現在の熊谷市楊井)に由来するとのこと。
 和田村は古文書に男衾郡和田郷と記された例が多いともある。
      http://www.geocities.jp/fukadasoft/rivers/wada/  より拝借。

 

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by ribondou55 | 2016-10-13 13:35 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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