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蝶と共に吾も七野を巡る哉  一茶

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 梅雨時も旅

 花に迷い 

 蜜に誘われ


 では、「七野」とは、どこか?

 京都の「櫟谷七野神社」(いちいだにななのじんじゃ)の社伝によると、「平安時代55代文徳天皇(850年)皇后藤原明子ご懐妊の際、その安産お祈りのため、産殿の西方に大和国三笠山から春日の大神をお迎えして祈願したところ、儲君・後の清和天皇をご御平産になったと伝えられる。
 その春日大社御鎮座の場所が山城国葛野郡(かどのぐん)櫟谷(いちいだに)である。当時は櫟の森を谷川が流れていたのであろう。また、社名の「七野」とは、もと船岡山麓一帯にあった原野で、紫野・禁野・柏野・北野・平野・蓮台野・内野(神野・神明野・萩野・御栗栖野)のこと。これら七野の惣社として祀られたと伝えられる。伊勢神宮の斎院に準じて設けられた紫野斎院が廃絶された時、その屋敷神を七神祀った社だったと言う説もある。」とある。

 一茶は、これから京に上ってということか。

 
 画像の花は、秩父ミューズパークで、へメロカリス。

 へメロカリスとは、ギリシャ語のhemera(一日)とcallos(美)で、美しい花が一日でしぼむことから名づけられたそうな。



 
 
 



 一茶は、1792年 寛政 4年 30歳 西国行脚に出発、1798年 寛政 10年 36歳 西国の旅を終える。

 柏原に帰り、その後江戸へ戻る。



 俳人・松岡青蘿(まつおかせいら)は、蕪村などと共に「芭蕉中興の六人」に数えられている。

 青蘿の門人に、高砂の田中布舟(たなかふしゅう)がいた。

 この旅の途中(寛政七年・1795)、一茶は高砂の布舟邸を訪れている。

 一茶の俳諧の師であった、小林竹阿が晩年大坂におり、布舟との関係ができていたのかもしれない。

 おそらく、竹阿の勧めで布舟を訪れたと想像される。

 一茶は、三月八日、四国の丸亀から下津井に渡り、九日に岡山まで来た。

 十三日、高砂に入り、布舟邸に泊まった。

 さっそく翌十四日、布舟邸で句会が開かれた。

  蝶と共に 我も七野を 巡るかな

 句会での一茶の句である。

 一茶は、布舟邸に二泊して加古川へ向かった。(「ひろかずのブログ」・http://blog.goo.ne.jp/hirokazu0630/c/91e37c64472c82e266320fbb889a18da から、借用、教えていただいた。)







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by ribondou55 | 2016-07-03 23:29 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


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