「海よりもまだ深く」、丁寧に作りこまれた作品。
2016年 05月 28日
「海よりもまだ深く」(監督・ 原案・脚本・是枝裕和、2016年)を、観てきた。

期待を裏切らない。
是枝作品を見続けてきたが、この作品が還暦過ぎのボクには、一番しっくりときた感じだ。
評判の映画だから、あちらこちらにレビューが出ている。
本作は監督自身が19年暮らしていた東京、清瀬市の団地を舞台にした家族のドラマ。ユーモアを込めた、よく練られたセリフや繊細な演出が、登場人物の心情を表し、是枝映画ならではの優しさに満ちた映画となった。映画comより拝借
東京近郊の田舎暮らしであったボクは、毎日片道2時間かけて都内まで通学していたが、団地住いの経験がない。
仕事についてから、時折巨大団地を訪れることがあったのだが、ボクにとっては異空間という感じがいつもつきまっとていた。
この映画は、一面では団地映画である。
団地、映画とくれば、ロマンポルノの団地妻シリーズが、すぐに思い出される世代であるのだが、それはさておき・・・、否、案外そこいらを踏まえていくと、面白いかもしれないが、ボクの脳みそでは手も足も出ない。
大人になりきれない男と年老いた母を中心に、夢見ていた未来とは違う現在を生きる家族の姿をつづった人間ドラマ。15年前に文学賞を一度受賞したものの、その後は売れず、作家として成功する夢を追い続けている中年男性・良多。現在は生活費のため探偵事務所で働いているが、周囲にも自分にも「小説のための取材」だと言い訳していた。別れた妻・響子への未練を引きずっている良多は、彼女を「張り込み」して新しい恋人がいることを知りショックを受ける。ある日、団地で一人暮らしをしている母・淑子の家に集まった良多と響子と11歳の息子・真悟は、台風で帰れなくなり、ひと晩を共に過ごすことになる。 お借りしたのは上と同じ
その「ひと晩」の過ごし方が、とてもいい。
2LDKか、3DKか、その間取りは定かではないが、人の生活は住まう空間に順応して振る舞いが身につくものだ。
ボクも結婚当初から二人の子の兄が小学校に入学直前まで、2DKの賃貸マンション暮らしをした。
そこで、手足の伸ばし方が部屋のサイズに決定されていくものだと、知ったのだ。
是枝演出は、細かくその辺の機微を詰め込んでいる。
大したものだ。
それは、生活感の細やかな演出にも現れていて、もしかすると、樹木希林という人のすごさかも知れないのだが、感心させられる。
年金を頼りにいきるおひとりさんのつましい生活ぶりも、たまにやってくる息子や娘それに孫たちを迎えたときのうれしさも、ボクガ死んで配偶者一人になったときの様子として、身に染みた。
ボクはつい、山田洋次を対比させてしまうのだが、山田はボクの目には、庶民を一回「観念的な基準」のフィルターを通して観察しているように思える。
それに対して、是枝はもっと直裁に生身の「人」の息づかいを熟知しているように思える。

その台風の夜の描き方は秀逸だが、タコの滑り台のエピソードが気に入った。
この写真は、撮影に使用された清瀬市内の公園にある、「滑り台保存館」というすごすぎるサイトから借用した。
この、タコ滑り台に、暴雨風雨の中、ダメ父の小説家志望が息子を誘ってくる、後から母親が迎えに来るのだが、息子は宝くじを落としてしまう、そこでとっちらかってしまった宝くじを、今は離婚している元夫と元妻とその子が、拾ってあるく。
息子が宝くじに寄せた夢は、その金で家を建てる、よりを戻した両親とおばあちゃんとみんなで暮らすのだと。
笑わせられるのだが、それ以上に、ボクらの人生も、いつもはずればかひかされている宝くじのようで、切なくなった。
まあ、語り出すともっといえそう、そういう映画はそんなに多くないのだ。
不知*、生れ死ぬる人、 いづかたより来りて、いづかたへか去る。又不知、仮の宿り*、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
と、鴨長明さんはおっしゃる、。
その生から死までの「仮の宿り」でも、自らが望むままにを歩むことはできない。
どこで間違ったのか?
いまわの際にも、やはりそう思うモノだろうか。
いやいや、すべてを受け入れ、それでも悪くはなかったと、思えるモノだろうか?
この先品の題名はテレサ・テンの「別れの予感」(作詞・三木たかし)の一節からとったのだと、そのシーンからわかるのだが、しかし言葉としては月並みなものだ。
ただ、テレサ・テンのあの歌声に乗せて聴くと、一撃を受ける、納得してしまう。
「海よりも深い」愛というものが、人間の関係を常につなぎとめるものでないこと。
そういえば、テレサ・テンは四十二歳と云う若さで亡くなっていたのだ。
オバマの所信演説と安倍の演説、・・・・、格の違いを見せた。
云ってみれば、安倍さんのホーム試合、アウェイのオバマさんにあれほど見劣りしては、残念。
所詮、サミットも、オバマさんの広島訪問も、己の政権延命の道具としたかったのだろうとしか、見えないのだが。

期待を裏切らない。
是枝作品を見続けてきたが、この作品が還暦過ぎのボクには、一番しっくりときた感じだ。
評判の映画だから、あちらこちらにレビューが出ている。
本作は監督自身が19年暮らしていた東京、清瀬市の団地を舞台にした家族のドラマ。ユーモアを込めた、よく練られたセリフや繊細な演出が、登場人物の心情を表し、是枝映画ならではの優しさに満ちた映画となった。映画comより拝借
東京近郊の田舎暮らしであったボクは、毎日片道2時間かけて都内まで通学していたが、団地住いの経験がない。
仕事についてから、時折巨大団地を訪れることがあったのだが、ボクにとっては異空間という感じがいつもつきまっとていた。
この映画は、一面では団地映画である。
団地、映画とくれば、ロマンポルノの団地妻シリーズが、すぐに思い出される世代であるのだが、それはさておき・・・、否、案外そこいらを踏まえていくと、面白いかもしれないが、ボクの脳みそでは手も足も出ない。
大人になりきれない男と年老いた母を中心に、夢見ていた未来とは違う現在を生きる家族の姿をつづった人間ドラマ。15年前に文学賞を一度受賞したものの、その後は売れず、作家として成功する夢を追い続けている中年男性・良多。現在は生活費のため探偵事務所で働いているが、周囲にも自分にも「小説のための取材」だと言い訳していた。別れた妻・響子への未練を引きずっている良多は、彼女を「張り込み」して新しい恋人がいることを知りショックを受ける。ある日、団地で一人暮らしをしている母・淑子の家に集まった良多と響子と11歳の息子・真悟は、台風で帰れなくなり、ひと晩を共に過ごすことになる。 お借りしたのは上と同じ
その「ひと晩」の過ごし方が、とてもいい。
2LDKか、3DKか、その間取りは定かではないが、人の生活は住まう空間に順応して振る舞いが身につくものだ。
ボクも結婚当初から二人の子の兄が小学校に入学直前まで、2DKの賃貸マンション暮らしをした。
そこで、手足の伸ばし方が部屋のサイズに決定されていくものだと、知ったのだ。
是枝演出は、細かくその辺の機微を詰め込んでいる。
大したものだ。
それは、生活感の細やかな演出にも現れていて、もしかすると、樹木希林という人のすごさかも知れないのだが、感心させられる。
年金を頼りにいきるおひとりさんのつましい生活ぶりも、たまにやってくる息子や娘それに孫たちを迎えたときのうれしさも、ボクガ死んで配偶者一人になったときの様子として、身に染みた。
ボクはつい、山田洋次を対比させてしまうのだが、山田はボクの目には、庶民を一回「観念的な基準」のフィルターを通して観察しているように思える。
それに対して、是枝はもっと直裁に生身の「人」の息づかいを熟知しているように思える。

その台風の夜の描き方は秀逸だが、タコの滑り台のエピソードが気に入った。
この写真は、撮影に使用された清瀬市内の公園にある、「滑り台保存館」というすごすぎるサイトから借用した。
この、タコ滑り台に、暴雨風雨の中、ダメ父の小説家志望が息子を誘ってくる、後から母親が迎えに来るのだが、息子は宝くじを落としてしまう、そこでとっちらかってしまった宝くじを、今は離婚している元夫と元妻とその子が、拾ってあるく。
息子が宝くじに寄せた夢は、その金で家を建てる、よりを戻した両親とおばあちゃんとみんなで暮らすのだと。
笑わせられるのだが、それ以上に、ボクらの人生も、いつもはずればかひかされている宝くじのようで、切なくなった。
まあ、語り出すともっといえそう、そういう映画はそんなに多くないのだ。
不知*、生れ死ぬる人、 いづかたより来りて、いづかたへか去る。又不知、仮の宿り*、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。
と、鴨長明さんはおっしゃる、。
その生から死までの「仮の宿り」でも、自らが望むままにを歩むことはできない。
どこで間違ったのか?
いまわの際にも、やはりそう思うモノだろうか。
いやいや、すべてを受け入れ、それでも悪くはなかったと、思えるモノだろうか?
この先品の題名はテレサ・テンの「別れの予感」(作詞・三木たかし)の一節からとったのだと、そのシーンからわかるのだが、しかし言葉としては月並みなものだ。
ただ、テレサ・テンのあの歌声に乗せて聴くと、一撃を受ける、納得してしまう。
「海よりも深い」愛というものが、人間の関係を常につなぎとめるものでないこと。
そういえば、テレサ・テンは四十二歳と云う若さで亡くなっていたのだ。
オバマの所信演説と安倍の演説、・・・・、格の違いを見せた。
云ってみれば、安倍さんのホーム試合、アウェイのオバマさんにあれほど見劣りしては、残念。
所詮、サミットも、オバマさんの広島訪問も、己の政権延命の道具としたかったのだろうとしか、見えないのだが。

by ribondou55
| 2016-05-28 21:58
| 還暦シネマ
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