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中条堤への興味は尽きない。

ネット上で、「近世以前の土木、近代化遺産」(http://www.kinsei-izen.com/)という、大変興味深いサイトに行きあたった。
きちんとした調査に基づく、学術的な内容で、ボクのような無知な門外漢には勿体ないのだが、なぜか楽しくなる。
河川の堤防」の中にあって、「中条堤」は、最も評価される遺跡としてランクインしている。

 中条堤 埼玉/行田市・熊谷市<福川(右岸)>土堤防長2732m(明治9)江戸以前
              
 「中条堤」は総称で、実際には上中条堤、四方寺堤、北河原堤の集合体/中世には既に存在していて、慶長年間(1610年頃)に伊奈忠次により本格的な整備が実施されたとする説が有力/利根川、福川、荒川の洪水を中条堤の上流側へ一時的に湛水させ、洪水の被害から下流側を守ることを目的とした控堤(水除囲堤)→洪水が氾濫することを前提として、その遊水を調節する機能を有し、洪水被害を最小限に食い止めるために設置された堤防

ボクが目下関心を寄せている四方寺の田んぼに立つ石碑は、「四方寺」なのだから、四方寺堤があった、その周辺であることは、間違いない。
中条堤の全体を見ることができるこんな資料があった。

b0018682_23114696.jpg
 

 高橋哲郎著「天、一切ヲ流ス―江戸期最大の寛保水害・西国大名による手伝い普請」で、挿入されているのを、拝借した。

 ボクはこの地図上の範囲外に居住するのだが、ほぼ地元民といえる、なおかつ自転車散歩を愛好するものだから、一応の土地勘があって、そうした人間から見ると、この図版は、とても馴染みを感じさせる。
 
 寛保2年の洪水では、中条堤と四方寺堤ともに決壊し、高橋の小説?(ちょっと、あの方を連想させる文体です)では、「逃げ場を失った老若男女一五〇人と馬三〇頭が水死した。中条堤の決壊した跡には深い池(押堀)が出現した。その深さは一四間から一五間もあり、人夫たちが掘ればゆうに三カ月はかかかるような湖沼が一夜にして出現したのである。」とある。


 今夜はここまで。


 ただいま、襖の張替に挑戦している、これも、なかなかおもしろい。



 

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by ribondou55 | 2015-12-18 23:27 | よしなしごとあれこれ | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


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