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『先生と迷い猫』にみるひとりぽっちについて

 『先生と迷い猫』(監督・深川栄洋、2015年)を観てきた。

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 埼玉県の岩槻で実際にあった地域猫捜索の模様を記したノンフィクション「迷子のミーちゃん 地域猫と商店街再生の物語」(木附千晶著)を原案に、オリジナルキャラクターやストーリーを加えて映画化。「太陽」以来9年ぶりに映画主演を務めるイッセー尾形が、主人公となる頑固な元校長先生に扮した。校長職を定年退職し、妻に先立たれて一人暮らしをする森衣恭一。堅物で偏屈なことから近所でも浮いた存在で、訪ねてくるのは亡き妻がかわいがっていた野良猫のミイだけ。追い払おうとする森衣をよそに、ミイは毎日妻の仏壇の前に座っていた。そんなある日、ミイが姿を見せなくなり、気になって探し始めた始めた森衣は、同じようにミイを探す人々がいることを知り、その交流のなかで「いなくなってからでは伝えられない気持ち」に気付く。、「60歳のラブレター」「神様のカルテ」の深川栄洋監督がメガホンをとり、染谷将太、北乃きい、岸本加世子らが共演 (映画com より拝借して引用)

とてもいい紹介である、感謝。

 イッセー尾形は、前作『太陽』では、敗戦前後の昭和天皇を演じて、人間天皇へとうつりゆく時代の、「帝の孤独」を見事に演じた。

 今度は、一転して老いぼれ退職校長のひとりぽっちの悲哀を演じてみせた。

 この映画には、何人もの、ひとりぼっちが登場してくる。

 妻に先立たれた元校長、どうやら連れ合いのいなそうな美容院の店主(岸本加世子)、高校を中退したらしいクリーニング店の娘(北乃きい)、駄菓子屋の店主(ピエール瀧)、いじめに遭っている女子高生(久保田紗友)自動車の整備をしている(嶋田久作)そして、修道院に身を寄せる小学生、これらがそれぞれに「ひとりぽっち」、そのそれぞれの隙間をうめるかのように、日々猫のミイ(ドロップ)が巡り訪れるのであったが、ある日から唐突に姿を見せなくなる。

 ミイは、亡き妻(もたいまさこ)がかわいがっていた野良猫であった、元校長はミイを見かけるたびに亡くなった妻が思い出されるのである。

 元校長は、今や、やもめ暮らし、その上、周囲の人の目には退職後も変らずに「校長先生」であり続けている尊大で滑稽な老人として見えている。

 もちろん、元校長はエラそーに振る舞っているわけではなくて、そのようにしか生きられない不器用な人なのだが、誰からも敬遠されていることはわかっていても、他者とうまくつながることができない。

 よくある頑固者話でない、元校長には頑固であるための「根っこ」なんてないのだ。

 おそらく、元校長は亡き妻にたいして、何かしらの負い目のようなことを感じている。

 それ故に、ミイが目障りなのだ。

 で、追い出した。

 ところが、三毛猫ミイが姿を消すにいたって、毎日訪れて来てくれたミイがそれぞれの寂しさをいかに慰めていたかということに、元校長のみならず、みんなが気づく。

 一匹の野良猫に、それぞれがそれぞれに名前を付ける。

 一匹の野良猫は、それぞれにとって、かけがえない自分だけの猫なのであった。

 そこから、ばらばらだった人々が三毛猫探しに一つとなるという、お話。

 一匹の野良猫によって、猫探し仲間の間に心が通い出す、そういうお話。


 でもね、どんな事情かわからないが修道院から学校に通う小学生は、やっぱり、「ひとりぼっち」と、もともとは子ども好きな元校長は、よく分かっている、いるがどうしようもない、迷っているのは猫だけではないと、そういう風に映画は終わる。

 つまり、「ひとりぼっち」には果てしがないのだ。

 地味だが、いい映画だ。

 書き忘れた、小鹿祥吾君(染谷将太)は、いい感じだった、こういう「こころのいい」若者が、この世知辛い世の中に、沢山育ってくれるといいなあと、後期高齢者のボクは願う。

 それにしても、こういう動物が主役の映画、うまく演出?編集?するものだと、この作品でも感心した。







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by ribondou55 | 2015-10-17 23:18 | 還暦シネマ | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


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