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ご近所巡礼7番 旧谷中村延命院跡の鐘・・・渡良瀬遊水池で  

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 是非とも一度は訪ねてみたかった。

 はからずも、今日寄り道できた。

 渡良瀬遊水地に先月日、95年ぶりに帰ってきた旧谷中村の延命院の鐘の音が響き渡った。

 この日は谷中村遺跡を守る会(針谷不二男会長)主催で同遺跡の草刈りが行われ約20人が参加した。アシ原の中の共同墓地と雷電神社と延命院跡に茂る夏草を刈った。珍しいスズランが墓地の中央に20数株植えられていた。北海道佐呂間町に移住した旧谷中村の子孫が持ってきたのだろうか。足尾鉱毒事件の辛酸な歴史を語る同地を訪れる人は多い。

 午後、きれいになった延命院跡に藤岡町歴史民族資料館から延命院の鐘が持ち込まれた。同会の人らが交代で鐘を鳴らした。田中正造も聞いた鐘の音がアシ原に響いた。「谷中村の廃村の時、やむなく村を出る祖先の人たちの無念の思いが、伝わってくる。歴史の風化を取り戻してくれる」と針谷会長は鐘の音に聞き入っていた。

 この鐘は1907(明治40)年に足尾鉱毒の沈殿地を作るために国の強制破壊で廃村となったころ、雷電神社の御手洗池(みたらせいけ)に沈められたとされ、その後行方不明になっていた。

 1986年九月、郷土史家らの調べで埼玉県幸手市の火の見やぐらにあることがわかり、同会の石井信一さんが同やぐらに登り確認した。この鐘の発見者は幸手市消防団の野口博伸さんで、鐘に刻まれた「下野国下都賀郡下宮」の地名と寛保元(1741)年の年号を見つけて、郷土史家の小路精蔵さんに伝えた。消えゆく火の見やぐらの鐘が奇跡的に残っていた理由は「一番、鳴りの響きがいいからだろう」と針谷会長は語っていた。

 発見から16年後の昨年11月に藤岡町に返還され、95年ぶりに里帰りした延命院の鐘。谷中村の歴史が刻まれた貴重な財産は、いま同町歴史民族資料館に展示されている。今後は、延命院跡で、谷中村が藤岡村に合併され廃村となった1906年7月1日にちなみ毎年7月1日に鐘を鳴らしたいと同会は願っている。(「東京新聞2003年8月 『渡瀬有情 夏の谷中村遺跡で』 より拝借)


 ご近所と云うにはちょっと遠いが、気持ちの上では、意外なほど近い。

 国の在り方を考えるとき、なんども立ち返る出来事の地である。

 フクシマへの道筋の起点といえるだろう。

 谷中村を追われた人々、「立ち入り禁止区域」として住み慣れた地を奪われた人々。

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 それにしても、渡良瀬遊水池は広大であった。2012年にサムサール条約に登録され、かつて鉱毒により辛酸をなめた地が、今は国際的に貴重な水鳥の棲息地に指定された。歴史とは、一筋縄ではいかないものだと、しみじみ思う。

 それはそうと、新たに「明治日本の産業遺産」が世界遺産登録実現の運びとか。

 昨日今日、ワイドショウも盛んにはしゃいでいる。

 それならば、いわば公害問題の原点、足尾銅山鉱毒事件の史跡である、「足尾銅山」とこの「旧谷中村遺跡」も、そのひとつに是非、加えて欲しい。

 この島国の近代化から得たものは、手放しで称揚できるものばかりか?

 すでに、足尾銅山は日本一の銅産出量を誇り近代産業の発展に大きく貢献した産業史跡として、国の史跡になっているそうだ。

 だがね、今やこの島国の近代化を誇るより、「公害対策インフラ」によって世界貢献をもくろむ国として、その近代化の裏面にあったことへ思いをいたし、「痛切な反省」をわすれないためにも、足尾鉱毒事件関連史跡こそ、世界遺産登録にふさわしかろうと、思うのでありました。












 
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by ribondou55 | 2015-05-05 23:19 | ご近所巡礼記 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


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