あれから二年、そして「遺体~明日への十日間~」を観て

 震災から二年が経過しようとしている。

 これから三月十一日にかけてマスコミがあれこれとやるのだろう。

 この「遺体~明日への十日間~」(監督: 君塚良一、2013年)も、ひとつのその手の仕掛けかと思えなくもない。制作はフジテレビである。

 そんなことも思いつつ隣のそのまた隣町まで出かけていって、観た。


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 小生はいい映画であると思った。

 この映画の主題は、「遺体」である。

 震災報道のなかでは「遺体」が映像としても活字としても現れてくることはなかった。

 メディア上では入念に「遺体」は排除され、「死者」は「死者」であくまで実態は伏せられていた。

 死者は、容易に「数」に置き換えられていた。

 おびただしい「数」の被災者・死者・行方不明者・・・・、抽象化されていた。

 だが、ようやくここで、死者数が個々の「ご遺体」に戻された。

 もちろん、メディアの中の出来事にすぎないのだけれど。

 でも、大切なことだとおもう。

 
 亡くなった人の尊厳、払うべき敬意をこの映画は、教えてくれる。

 これに口を挟むことはできない。

 たかが映画、現実には遠く及ばない、比べものにならい位の悲惨があったはずだという、当たり前ことをいっても仕方ない。

 この映画はそうした悲惨をもっともらしく見せようとしたわけでもないということは、よくわかるではないか。


 副題は「明日への十日間」である。

 明日を期待できるのは、生きているものだけである「遺体」の側にあるわけではない。

 「喪」に服すということが、亡くなった人のためだけではなく、生きてゆく人のためのものでもあるということ、こんなことは誰でも知っている。

 この監督は、遺体安置所の十日間で、「遺体」に対して生き残った者たちがどのように変化したかを巧みに描いている。

 庶民の素朴な誠意への共感が底にあるように思えた。

 実をいうと、映画の原作となった、石井光太氏のポルタージュ「遺体 震災、津波の果てに」は、居間の書棚に置かれたまま、まだ読まれていない。紀伊国屋の店頭で二三ページ立ち読みした後、買い求めて、そのまま放置してある。ツンドク本は数え切れないほどあるが、こんな本は、ツンドクではない。

 そんな風である。

そんな風に観た作品であったが、園子温監督の「希望の国」を併せて観るのが望ましい、そんな気がする。

 この「遺体」という作品には毒気がない。ありがちな無常観すらない。聞こえてくるのは、「やるべし」、善意の意志の行使。そして善い人たちの痛恨のみが語られる。これだけでは、片手落ちと云いたくなる。

 利いた風なことをいうなと叱られそうだが、そんな感じもある。


  
 

 

by ribondou55 | 2013-02-28 22:50 | 還暦シネマ | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。


by 泡六堂
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