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『円空仏』に会いに行く。

 浦和に出る用事があった。

 少し足を延ばして、トーハクの「東京国立博物館140周年 特別展「飛驒の円空―千光寺とその周辺の足跡―」を観た。

 なんやかやあって足が遠のいていたお江戸である。なんと半年ぶりに上野駅に降り立ち、昼飯をどこにしようかと、ふらふら歩き、広小路から天神下の方向へ、そこで「どてモツ煮込み定食」なるものを食べた。悪くなかった。

 腹を満たして、上野公園方向に戻って、トーハクまで歩いた。

 半年前は公園の噴水周辺は工事中であったが、殺風景な広場に変わっていた。スタバなんかできていた。

 周辺の森も整理されたのだろうか、少し前まであちらこちらの茂みの奥にひっそりとあった青いビニールシートハウスは一つもなかった。恩賜の公園だそうだが、万民が賜ったわけではないようだ。・・・・・・おもしろくない。


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 円空が今に生きていたらシートハウスの人々にまず木っ端に彫った観音さまを授けにまわっただろう。

 生涯で十二万体も仏さんを刻んだという。

 十二万という数は途方もない数だ。現存するものだけで約4500体。

 寺や神社に納めた仏や神も多くあったろうが、そのほとんどはたぶん身近にあった人々のために彫った「お守り」の仏像であり神像であったのではなかろうか。

 円空の現存する作物のもっとも古いものは1663年(寛文3)32歳のころの神像であるようだ。長良川畔で入定したのが、1695年(元禄8)、64歳の時である。ああ、小生も今年64歳になる、同い年でないか。なんと即身仏として素懐を遂げたとか。

 たとえば、かりに生まれたばかりの円空さんが仏さんを削りだしたとして、それから64年の生涯を終えるまで彫ったとして、一年間に1875体づつ彫った勘定だ。さらに一日あたりにすると、5.13体。

 この膨大な数の神仏は、どこへいったのか?

 やっぱり、お守りだな。

 ところで、円空さんの作品中で国宝だったり重文だったりに指定された仏さんは一体もないのでは?

 そうだな、国宝やら重文になれない円空さんがボクは好きだ。いや、円空さん自身が国宝になんていわれたら、まっぴらごめんと云いそうだ。

 トーハクの円空の会場は、こんな部屋が隠れていたのかという感じの本館正面階段の裏側であったが、そこから正面玄関の方に戻って、左の平常展の部屋にはいるとぴかぴかの仏さんがおいでだ。由緒正しい仏さんだ。これらは、れっきとしたお宝である。博物館にふさわしい仏さん。

 所詮、円空さんは変わり種?

 薪を割るようにたたき割られた木っ端から生みだされた仏さんと洗練を極めた仏師たちの手から生み出された仏たちと、さてさて、どっちがありがたいのか?

 どっちがありがたいなんて、もちろん愚かしい問いだが、小生としては薄暗い民家の仏壇の隅や粗末な神棚の脇におかれて、だいたいはそこにあるのも忘れさられしまうような木っ端のような仏さんに愛着を覚える。

 神仏は、困った時の心の支えになるのが勤めだ。困った時の神頼み、頼まれないような神仏では役に立たないのだ。ボクはお宝の仏さんより、路傍のお地蔵さんを信用している。お宝はあまりに遠くにおいでで、僕らのことなんか、本当はなにもご存じあるまい。円空さんの神仏は、家の「お守り」村を守護してくれる神仏であったろうと、だから、やさしく笑っている。せめて、仏さんだけはいつでもほほえんでいてほしいものだから。

 なんだか、ばかげた感想文になってしまった。

 円空については、一度きちんとお勉強してみたい。



 

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by ribondou55 | 2013-01-25 23:04 | 合掌 | Trackback | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。誤字誤記多し、恐縮。


by 泡六堂
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