「わが母の記」を深谷シネマで観た。

 突然、あごの上部から頬にかけて腫れだした。

 還暦過ぎのおたふくかぜもないだろう。


 たぶん、・・・歯茎が傷ついてばい菌に感染したものか。

 あるいは、虫歯、歯槽膿漏・・・・、。

 医者嫌いであるから、今の所、「熱さまシート」を貼って、その上からマスクをしている。

 この暑さではマスクはつらいが、見た目も少しは改善できる。


 そんなわけで、家にこもっていればいいのに、妻が「わが母の記」(監督・原田眞人・2012)を観にゆくというので、深谷シネマまでお供した。

 手堅い映画でありました。そつなく、見事に泣かされました。


 井上靖という作家は、了見の狭いボクの読書の守備範囲には、まるで触れることがなかったというより、・・・・・。

 ボクが物心ついて、小説を読み始めた前後から、時折目にしたポートレイトからの印象では、一番とっつき辛いタイプの人のような感じで、ボクには関係ない人だと決めた。でも、物心つく前のガキの時分、「しろばんば」とか「あすなろ物語」とか、強制的感想文とか、やられたような、ぼうやりした記憶がある。でも、これは、どうでもいい。
 この、「見た目嫌い」は、司馬遼太郎についてもいえて、でも、「街道を行く」シリーズなどは、旅のガイドブックとして読んでしまうが、やはり、「エラそー」な口ぶりがちらちらみえて、気に入らない。
 もしかすると、新聞記者あがりの作家が嫌いのかも知れない。


 話を戻そう、昨今の報道をみていると、本当に「新聞」とその書き手はうさんくさい。


 ある成功した人気作家がいい年の大人になるまで、幼少年期に母親と別居した体験を「親に捨てれた」と長い間思い続け、このことが心の傷になってきた。ところが、まさしくその加害者であったはずのが惚け果て、過去と現在の境界が混沌とした今となって語り始めた「ことば」によって、当時の母の真情を作家は知る。そんな話で、捨てられた子の母恋物語である。

 よくやりますね、と思いつつ、でも泣けたのは、捨てられた子も、子を手放した親も、ともに「別れきれない、忘れきれない」という、母子物語にやられてしまうからだ。そして、それがいくら哀しいとおもっても、いづれか必ず、別れなければならないという生き物の定めから、誰も逃れられないということで二度泣ける。

 そんあこんなことあって、「姥捨山」が引き合いにだされる。これが、この映画では嘘くさい。役所広司さんがうまいのでついだまされそうだが、あのお話はむりがあろう。

 映画中の「姨捨山」の絵本云々のエピソードは、あれは、「嘘」でしかない。小道具だ。この映画では心理的な親離れ子離れの暗喩でしかない、と思うのだ。つまり、捨てれた子が、親を捨て返す、けれども、どうしても捨てきれない、そんなことだ。小説的な嘘というやつ、そんなものは、kizaで目障り。

 「楢山」へおりんをおんぶして登った辰平の末裔は、今のこの国には、数え切れないほどいるのだ。しかし、おりんさんは、そうざらにはいない。樹木希林さんは勿論、おりんではない。そういうことにまでは、この映画は及んでいけない。

 ボクにも今、惚けた母がいて、これが、ときおり、非常に人のこころを揺さぶる言葉を吐くのだ。痴呆が理性を狂わせるというのは、あるかも知れないが、魂の「叡智」のようなものは、痴呆の混沌とした頭脳の中に、いつまでも散在し、暗く、或いは、明るく輝いている、とボクは思っている。

 樹木希林さんは、とてもよく呆けていた。

 でも、あれは、よくできた映画に過ぎない。

 そう思った。


 さて、今夜は麻婆茄子だ。今年最後の,自家菜園の茄子である。


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  梨むきて耳とほきひとにすすめけり    李凡堂





 

 
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by ribondou55 | 2012-08-31 18:08 | 還暦シネマ | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。


by 泡六堂
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