「鉄道員(ぽっぽや)」のおセンチにも泣けた。

 BSプレミアルで「鉄道員(ぽっぽや)」(監督・ 降旗康男 1999年)の後半については身を入れて観た。

 半主夫業見習い中だと、食事の片付けを終えないと、一息つけない。それで、前半は、いいかげんに。

 高倉健さん主演というと、何となく、スター映画のようで、健さんばかり見ているが、こんな風に二本続けて観てみると、この監督さんの思いが伝わってくる感じがした。

 「鉄道員」はいかにもこの國の二十世紀のお仕舞い的な哀愁はあるものの、おセンチで幸福な映画であった。つまり、夫婦にしろ、友人知己、同僚たちからも、愛され尊敬されるという「絆」を素朴に信じられることを前提にしたファンタジーである。

 に対して、「あなたへ」はもっと、生の実存の孤独に目を向けている。駅長佐藤乙松は、雪のホームで凍死できたが、刑務官倉島英二には、そのような終末は来ないだろう。「絆」はあるにしても、その絆は、いずれは一人で死んでゆくのだという存在同士の控えめで謙虚な「絆」である。

 今度の震災を通して、こんなボクでも、圧倒的なパワーが命を奪い取ってゆく様子をみて、死の「冷たさ」を感じずにはいられなかった。

 この刹那の次の刹那は、闇であると思った。では、そこでの「絆」なんて・・・・・、笑える、か?

 やはり、云えることは「さようなら」だけかも知れない。「さよなら」だけの一言で去ってゆくこと、それがなぜか、仏教的な・・・そんな感じがしたが、・・・・・。



 病院の待合室のソファーに座って、大江さんの「僕が本当に若かった頃」《1992年》を読んだ。

 作中で、「ギルティー」(guilty)という言葉がでてきて、どきっとした。

 文脈的な意味合いではなく、そのことば自体に、撃たれたような気がした。



 なかでも「喪失」という体験では、先に亡くなった人に対して、生き残った者がある種の「罪悪感」を感じてしまうのは自然な人間性である。

 健さんの映画で云えば、乙松にも英二にもあったが、より色濃いのは乙松だろう。

 さらに深い陰を感じさせるのは、英二の妻である洋子である。

 洋子は獄死した「たった一人」のために歌っていた。しかしながら、英二が、それに代わり得る存在だったか?だからこそ、英二にやさしいのである。

 

 子猫は姿を見せないが、子猫の母らしき若い猫は、今夜も犬が残した飯を食べにきていたらしい。


 やはり問題は「呼吸」、臍から吸って、臍から吐く。


 かぼちゃはやはりよいものでなければ、ほくほくにはならない。

 いんげんの苗を植えた。



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by ribondou55 | 2012-08-27 23:22 | 還暦シネマ | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。


by 泡六堂
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