「わしはそんなこはいものぢやないよ」  かはいさうな細い声で

 日比谷で、「私が、生きる肌」(監督 ・ペドロ・アルモドバル・2011/スペイン)を観た。

 ちょっと、楽しみにしていた映画だ。

 観たのだが、期待は裏切られなかったのか、はたまた、裏切られたのか、・・・当の本人が判断できない。

 なぜかというと、導入のあたりで、僕はうとうとしていた。

 本題から外れるが、このところ、といっても、もう二年あまり前からだが、一つのものを集注して見ようとすると、眠気に襲われるという、いやな「症状」が発生するのだ。

 一番困るのは、美術館。作品の前で、瞬間、すとんと、意識が落ちる。

 まさしく、すとん。

 発作なのか。

 博物館の仏様の前でも、落ちた。

 例のボストン美樹館展でも、あの人混みの中で落ちた。目覚めてからもひどく眠い。

 眠くて眠くて・・・近くのベンチに腰をおろして、できれば、しばらく眠りたい。

 竹橋の近代美術館のお堀端の緑がひろびろと見渡せる休憩室で、うとうと眠ったのは、・・・先々月か、・・・「写真の現在4 そのときの光、そのさきの風」という展覧会場を徘徊したあと、・・・・・・気持ちよかった。


 とうとう、病が進んで、映画館のスクリーンを前にしても始まったのだろうか?


 つぎは、美しいご婦人のかんばせに睡魔が兆すようになるかもしれない。


 さて、映画だが、簡単に狂気の沙汰のお話といってみれば、それでシャンシャンと手打ちできそうだが、そんなもんじゃないな、と思った。

 後半の種明かしは、まあ、わかりやすい。なぞなぞは、途中でわかってくる。

  因果応報、復讐の連鎖。

 「主体」なんてものは、結構もろい。自分は何者にもなれるかもしれない。

 或いは、そんなことはなくて、肉体はいかに作り変えれようと己が己であることには、変わりないのか。


 それよりも何よりも、Madな整形外科医の「愛」のありようは、危険だ。

 「愛」というものは、まったく暴走する。今更ながらだが、「愛」はまったく自己中で、反倫理的だ。

 ちらっと、「神話的」と、思ったりするが、まずまず。


 エレナ・アナヤは、とてもきれいだった。
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by ribondou55 | 2012-06-23 23:49 | 還暦シネマ | Comments(0)

花より団子、団子より昼寝がよろしい「隠居蛙」の日常をポロリ。


by 泡六堂
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