沙石集のうちの一話。

 ざっくりとこんなお話。

 ある尼さんがいた。金色の立像の阿弥陀仏を、美しく造り申し上げて、本尊として拝み供養していた。

 そのうち、もともとは京の都に住んでいたのだが、縁あって片田舎に下った。このご本尊さまもお連れして、知り合いの持仏堂に安置して、花や香を絶やすことはなかった。
 実は、この尼さん何事に付けても四角四面な性格で、ひどくケチでもあった。香を供養するにつけても、持仏堂であるから回りにたくさんの仏様がおいでになるのが気になった。自分が供養した香の煙が傍の仏さまの方に流れて、己のご本尊に届かないのではないかと不安に駆られた。そこで一計を工夫した。香をたく器の蓋に細い竹の筒をねじ入れて、その片端を仏の鼻の穴にねじ入れて、ほんの僅かであっても香の煙が散らないようにしたのだ。そのようにして香を供養していると、しばらくすると金箔を貼ってあった仏の鼻が、漆を塗ったようになって、ついに金色の輝きが失せてしまったのだ。

 さてさて、この尼さんもやがて寿命が尽き、女人に生まれ変わった。
 生まれ変わりの女人は顔かたちは人並み以上であったのだが、なんとしたことか鼻の穴が真っ黒で、まるで墨を塗ったようであった。
 
 まことにもって、因果の理ということであろう。 (沙石集巻第八の七・佛の鼻薫ぶる事)


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 ところで、ボクは、この尼さんを笑うことが出来るだろうか?











# by ribondou55 | 2019-02-12 23:03 | 今は昔 | Comments(0)

一日目

丸木美術館

原田裕規「写真の壁:Photography Wall」展

廃棄された膨大な枚数の写真のいちまいちまいに撮された人やこと。

その一枚一枚に、シャーッターを押した動機があり、撮された対象との関係があり、そしてついには、捨てられた理由がある。

おお、めまいがする。

このブログの写真も、そう遠くない先で無用となり、削除される。

デジタルデータは、打ち棄てられた形跡もなくさっぱりと消される。

スマホの画像が氾濫する。

防犯カメラが昼夜なく作動している。

この時代の一枚の写真の重荷はますます軽く、それでいて、実はいよいよ恐怖を孕む。


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丸木美術館のある風景



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二日目

垣根に来るもの

食べ残した食パン一枚に、鳥が集まってくる。

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三日目

「年寄りの冷や水」

「老いの木登り」

ボクにとってはこの上なく教訓的な言葉だと、思った。


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四日目

さいたま水族館

淡水魚専門の水族館

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季節の変わり目のせいか、夕方又訃報が届いた。










# by ribondou55 | 2019-02-11 22:32 | よしなしごとあれこれ | Comments(0)

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引きこもり老人は、独り遊びのあれこれを工夫するものだ。

このところのお遊びは、ハイカラにいえば、ペーパークラフトということか。

始まりは、本屋の店頭で世に言う「飛び出す絵本」にたまげたことだ。

実に高度だ。

通常の絵本作家の表現にくわえて、構造物を組み立てる仕事がくっつくのだ。

こういう紙の使い手をペーパーエンジニアと呼ぶのだそうだ。

ネット検索で関係事項を調べて行くと、実に奥が深い。

折り紙建築というジャンルの存在も知って、やってみた、これがムズカシイ。

紙に指がなじんで行かない、歯がゆいほどだ。

設計図通りにカッターで紙を切る、これとて、おいそれとはできないものだと知った。


これは、耄碌する脳みそには、悪くない遊びでないかと、勝手に考えている。


紙で遊ぶというのは、ガキの時分以来のことだ。

PONちゃんは、いたずらで作ったのだが、この数日、あわれで哀しい孤独な老人の話し相手である。





# by ribondou55 | 2019-02-06 16:09 | 生きている | Comments(0)

  余りのぽかぽか陽気に散歩に出た。

 
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 風はあるが、フリースで十分暖かい。

 いい気分だ。


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 昨日は、節分祭のはしごをした。

 長瀞の宝登山神社にまず参拝して、格式を感じさせられる追儺式の豆まきをみた。

 続いて、秩父神社の豆をいただきに。

 ここでは、あちこちに鬼が出没し、幼子を泣かせていた。


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 昼飯は秩父の道の駅の立ち蕎麦で済ませたが、蕎麦の香りもコシもある、きちんとした「ざる」であった、美味。



 先々日は、深谷シネマで『沖縄スパイ戦史』(監督・三上智恵、大矢英代、2018年、114分)を観た。



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 前の大戦については、ボクは知らないことばかりだと、改めて思った。

 非武装中立なんてことは、もうダレも口にしないが、軍隊や基地があるところは、必ず戦場になるのだと、一番切実に知っているのは沖縄の人なのだろう。


 そして、ボクは今年自分の知人への年賀状をサボった。

 いただいた年賀状の返礼もしていなかった。

 一月も押し詰まり、急に後ろめたい気分になって、2月1日付けの寒中見舞いを、礼を言葉にして送った。

 まことにもって、ろくでなしの己である。








# by ribondou55 | 2019-02-04 23:13 | よしなしごとあれこれ | Comments(0)

 隣町の図書館へ行くのに、普段は通ることがない道を行った。

 瑠璃光寺とあった、立派な天台宗のお寺である。

 平安初期の創建、1200年の歴史を持つ由緒あるお寺であるそうだ。


 境内に薬師堂があり、寺の通称となっている寅薬師さんとして人々に親しまれており、眼病に御利益があるのだそうだ。

 その薬師堂へは仁王門から参ることになる。

 その仁王さんが、失礼ながら、とてもいい感じだ、といいたい。

 先ずは、お口を開いて「阿」の仁王さん。

 
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 こちらが口を閉じられた「吽」の仁王さん。

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 仁王門自体は、享保年間の建立であると云うから、この二体の金剛力士像も江戸時代の作品であるかも知れない。


 目が生き生きとしておいでだ。

 眼病の治癒を薬師様にお願いにくる人々をくりくりした目で見下ろす仁王さんはかっこよいではないか。

 薬師様に手をあわすのが本当だが、ボクはこのお二人の仁王さんのほうがありがたい気がしてきた。

 ともあれ、老眼が苦になる私めのために、合掌。

 
 そして、南無薬師如来。



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仁王門の全景と天井画をつけておく。








# by ribondou55 | 2019-02-02 22:52 | ご近所巡礼記 | Comments(0)

「霧」のオノマトペ

 
 前回の宮沢賢治つながりで。

 
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 宮沢賢治を語る書物は、あきれるほど世に存在するが、この本は一風個性的で好きだ。

 帯に「賢治の童話のなかから157のオノマトペをご紹介します。」とある。


 例えば「霧」に関するオノマトペ。

 今日は陰気な霧がジメジメ降ってゐます。「貝の火」より

 霧がツイツイツイツイ降って来て、あちこちの木からポタリッポタリッと雫の音がきこえて来ました。「十力の金剛石」より

 霧がトントンはね踊りました。「十力の金剛石」より

 霧がポシャポシャ降って、もう夜があけかかってゐます。「貝の火」より

 きりはあめにかわり、ポッシャンポッシャン降って来ました。「十力の金剛石」より


 面白い。


 ボクの持っているのは古い「校本 宮澤賢治全集」だが、その第七巻のどこのページを開いても、行間にオノマトペが跳ね回っている。

 オノマトペを多用する文章は、幼稚なものになりやすいと、昔どっかで聴いたか読んだかしたが、賢治童話では大きな魅力の一つだ。

 
 オノマトペの使い手でもあった中原中也は、賢治の詩についてこういった。

 宮澤のオノマトペがどこからやってくるかという問いのヒントになるような気がする。


 彼は幸福に書き付けました、とにかく印象の生滅するまゝに自分の命が経験したことのその何の部分をだつてこぼしてはならないとばかり。それには概念を出来るだけ遠ざけて、なるべく生の印象、新鮮な現識を、それが頭に浮ぶまゝを、――つまり書いてゐる時その時の命の流れをも、むげに退けてはならないのでした。
 彼は想起される印象を、刻々新しい概念に、翻訳しつつあつたのです。彼にとつて印象といふものは、或ひは現識といふものは、勘考さるべきものでも翫味さるべきものでもない、そんなことをしてはゐられない程、現識は現識のまゝで、惚れ惚れとさせるものであつたのです。それで彼は、その現識を、出来るだけ直接に表白出来さへすればよかつたのです。



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# by ribondou55 | 2019-02-02 00:11 | 読み捨てご免 | Comments(0)

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 荒川大麻生公園へ散歩に行った。

 自宅から自転車に乗って、途中ミニストップで手作りおにぎり2個買って、のんびり行った。

 安物の双眼鏡とcanonのminiXという不人気で終わった?らしいビデオカメラをポケットに突っ込んで行った。

 ボクは、miniXをスケッチ帖のように使っている。

 とにかく広角側は、ゆがむのだが、広々取れるし、写真機としても、ピント合わせ無しでさくさく撮れる。

 優れものだとおもうのだが、とっくに生産中止となった。


 さて、この荒川の河原にちょっとうっそうとした森と視界のよい冬枯れの野っ原が繋がってある。

 気分よい。

 その名の通り、野鳥がたくさんやってくるようで、探鳥会も定期的に開かれているらしい。

 今日も今日とて、(実際は昨日なのだが)、バズーカ砲のごとき長大な望遠レンズを構えるご一統さまが、小さな池の畔に沢山おいでであった。

 
 ボクはただぶらぶら歩いた。


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 なぜか、「イーハトーブ」と頭に浮かんだ。

 言わずと知れた宮沢賢治さまの「イーハトーブ」。

 有名な「注文の多い料理店」の新刊案内にあった言葉を思い出そうとしたが、ボクの脳みそはどろんと淀んだ沼同然で、メタンガスのようなものしか浮かんでこない。

 で、妙に確信的に、この森と原っぱだって、「イーハトーブ」だと。

 ちょっと立ち止まって考えた、・・・・そう思ってもイイかも知れない。


 森の外れのベンチに腰掛け、おにぎりをほおばりつつ、耄碌爺さんは、今在るところがイーハトーブであって何処がいけない、百人の読者のそれぞれに固有のイーハトーブが開かれているのだと、それでイイのだと、バカボンのパパのように決定した。


 そこで、いま青空文庫からその一文を拾っておく。

 賢サを愛する熱烈なファンには失礼だが、ドリームランドは世界の至る所に偏在して、「岩手県」が独占するものでもあるまいと、ぼんやり思うのであった。

 イーハトヴは一つの地名である。しいて、その地点をもとむるならば、それは、大小クラウスたちのたがやしていた、野原のはらや、少女アリスがたどったかがみの国と同じ世界せかいの中、テパーンタール砂漠さばくのはるかな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。
じつにこれは著者の心象中に、このような状景じょうけいをもって実在じつざいしたドリームランドとしての日本岩手県である
そこでは、あらゆることが可能かのうである。人は一瞬いっしゅんにして氷雲ひょううんの上に飛躍ひやく大循環だいじゅんかんの風をしたがえて北にたびすることもあれば、赤い花杯はなさかずきの下を行くありかたることもできる。
つみや、かなしみでさえそこではきよくきれいにかがやいている。
ふかママの森や、風やかげ肉之ママ草や、不思議ふしぎ都会とかい、ベーリング市までつづ電柱でんちゅうれつ、それはまことにあやしくも楽しい国土である。






# by ribondou55 | 2019-01-31 23:17 | よしなしごとあれこれ | Comments(0)





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 ゆで卵は不思議な感じがする食べ物だ。

 
 子どもの頃は、ちょっと贅沢なごちそうであった。

 独身のころは、通勤の途中の喫茶店でモーニングサービス、これがつくのが定番だった。

 今は、取り立てて好きでも嫌いでもないが、家飯のラーメンにはこれを載せないと物足りない。

 時代や世代や生活実態の違いで、印象が大きく変化する。


 ゆで卵はいわば命の始まりの形をしている。

 白身に包まれた卵黄が、一つの細胞なんだそうだ。

 胚発生は黄身の部分で起きるのだ。

 有精卵であれば、二十日か二十一日ぐらいまでには、孵化するそうだ。
 

 ゆで卵は外形的には、つるんとしてつやつや、中に黄身は潜んでいて、見えない。

 人によってはエロチックとか。

 産卵女子とかナンダワカラン語が、Googleに引かれてきた。

 とんでもない方向に話が行きそうなのでやめる。



 橋本治氏、逝去。










# by ribondou55 | 2019-01-29 23:10 | よしなしごとあれこれ | Comments(0)

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埼玉県深谷市産葱は、よく知られたブランド農産品である。

その葱をリスペクトしたお祭りが、このお祭りである。

jr深谷駅に面した瀧宮神社で開催されていた。




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名物は泥付葱一本を直火で焼き、その場で食するというワイルドなもの。

葱は一本百円。

パンフレットでは、この焼き葱をスペイン・カタールニヤ地方では、”カルソッツ”とかいい、これにちなんで大々的な祭も催されていると。

そこで、このご当地焼き葱を『深谷カルソッツ』と呼ぶのだそうだ(^▽^)

ともあれ、深谷葱は焼くと、一層甘みを増す、旨さに間違いはない。

食べなくても、よく分かる(^▽^)


会場に近づくとあの懐かしい葱を焼く香りが、赤城颪の空っ風に乗ってやって来た。

ボクにとっては、この匂いは扁桃腺持ちだったガキの時分、直ぐに高熱になった折々、お袋が葱を焼いてガーゼに包み、咽の辺りに巻き付けてくれた、あの匂いだ。

なつかしかった。


で、ここでは、葱バーガーというのを食した。

味はほどほどであったが、作り置きで冷えていたのが頂けなかった。

帰り、中山道沿いの伊勢屋でラーメン食って、温まった。


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ちなみに東京駅似で知られる深谷駅は、この神社のほぼ向かいにある。



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# by ribondou55 | 2019-01-27 14:10 | ちょっと、そこまで | Comments(0)