映画『リバーズ・エッジ』//風邪で喉がイガイガするのだが。



腰痛と風邪、時雨模様の空、最悪である。

フリースのジャケットを着て、マスクして、お茶ばかり飲んでいる。

喉がぼっやと膨張しているようで、胸のあたりもじわっと重苦しい。

そんな日には、映画を観ることぐらいしかできない。


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『リバーズ・エッジ』(監督・行定勲、2,018年、118分、日本)をTSUTAYA レンタルDVDで、観た。


高齢者も結構つらいのだが、今どきの青年もタイヘンだ。

ポスターのキャッチコピーに「平坦な戦場で、僕らは孤独になる」とある。

うまい言葉だ。

高齢者のボクらはもはや退役した「兵士」のように青年達には見えるだろうが、同じように孤独になる。


さて、そんなんことはどうでもよい。


さすが行定作品、退役老人のボクなんぞでさへ、この頃の青年たちの「闇」へと思いをはせさせられた。


登場人物たちは、このごろの若者をシンボリックにあらわすように、それぞれへ「個性」が与えられている。

そのそれぞれが「生きている」という事実をどのように感じているかということが、見どころだ。

なかなか斬新な手法だが、登場人物に何者かがインタビューするのだ。

あなたは生きていますか?と。

一種のメタフィクション風の作りになっている。

これは、ちょっとした仕掛けで、観客自身もインタビューワーの発する問いにつられて、さては俺はどうだった?と・・。


ともあれ、青年たちはクソッタレだらけの世界ではあるが、生き抜いてくださいと願うのみだ。


二階堂ふみさんの普通の女の子ぽっさ、やはりいい感じです。

SUMIREという人を初めて知ったが、面白かった。


見終えたが、腰痛にも風邪にも効き目はなく、最悪な気分は持続している。











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# by ribondou55 | 2018-10-19 20:57 | 古希シネマ

「カメラを止めるな」「空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~」

 昨日は、『カメラをとめるな!』(監督 上田真一郎・2017年・96分・日本)をこうのすシネマで。

 (こうのすシネマはとても見やすい、音もいい、座席の座りここちもよい、好きな映画館だ。)

 それは、本題ではない。



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 『カメラを止めるな!』は、抜群の映画センスが満載、よく考えられた作品であった。

 評判通りの快作である。

 すでに、多くのことが語られてしまったので、ボクなんぞが口出しするのは、烏滸がましいので、手放しで「映画の快楽」に浸れたとだけ云いたい。

 ところで、日本アカデミー賞協会の皆さんは、この作品をどう評価されるか?

 或いは、シカトか?

 恒例来年3月1日の授賞式を刮目して待とう!

 

 で、昨夜、『空と風と星の詩人~尹東柱の生涯~』(監督 イ・ジュニク、2016年、110分、韓国)をTSUTAYAレンタルdvdで観た。

 一日に、二本観たものもしばらくぶりだ。


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 詩人ユン・ドンジュと独立運動家ソン・モンギュの青春を描いている。

 日本統治下で創氏改名を強いられ、ユン・トンジュは平沼東柱、ソン・モンギュは宗村夢奎と名乗る。

 両名ともに、日本に留学中、朝鮮独立運動を画策・扇動したかどで、治安維持法違反にあたるとされ、拘束され、裁判にかけられる。

 ユン・ドンジュは懲役二年の実刑判決が下され福岡刑務所に収監される。

 同じくソン・モンギュも福岡刑務所へ。

映画では、過酷な取り調べの様子が描かれる。

 そこでの特高の台詞から、逆に韓国の人々が統治にあたった「日本」をどのようにみていたかということが、よく分かる。

 そして、両名ともに獄死をする。


 作品は、ユン・ドンジュのいかにも天性の詩人であるデリケートな感性と現実にさいなまれる苦しさであふれている。

 ユン・ドンジュが一詩人として人生を全うしたいという願いを踏みにじったのは、どのような力であったのか、よくみておこう。

 モノクロの映像が美しかった。

 役者さんたちも、よろしかった。

 

 いやはや、昨日の二本立ては、インパクトがあった。

 よいものを観た。






 
 




 

 
 

 

 
 
 

 

 

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# by ribondou55 | 2018-10-15 23:13 | 古希シネマ

太田・館林・足利の美術館を巡る(1)

まず、太田市立美術館図書館へ。

『本と美術の展覧会vol.2 「ことばをながめる、ことばとあるくー詩と歌のある風景」』を観た。



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ここは、その名の通り、図書館に美術館が併設されているというより、両者が融合して一体化したようなユニークなものだ。


チケットを購入する前に、図書館部分をのぞいてみた。

図書館はスロープ状に上の階に続く通路があり、その壁に書棚が設置され、その書架もいわばミカン箱が積みあげられたような体をなしている。

書籍の置き方も実用的に背表示を見せるだけだけはなく、「本を見せる」ことを意識してディスプレイしている。

今時のおしゃれな書店風の見せ方である。

美術館でもあると云うとおり、美術書がとても充実している。

美術好きの人なら書架にならぶ本のタイトルを目で追うだけでわくわくして来るだろう。



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ボクはこの美術館が開館間もないころに一度来たことがある。

この建物には屋上庭園があって、野バラが白い花をつけていた。

今度が二度目であるが、今はワレモコウの季節であった。

この屋上庭園がとても気持ちいい。

目の前には太田駅のホームが見えたりするのだが、それもいいのだ。


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さて、展覧会は、第一室に最果タヒの詩作品が、佐々木俊のグラフィックによって視覚化されている。

文字言語そのものを視覚的レイアウトしデザインして表現するというのは、特に珍しいことではない。

でも、このインスタレーションで面白いのは、ちゃちなベニヤ板で作った看板に表現されていることだ。


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或いは、


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「看板」、これはもっとも身近なメディアであった。

昔、若かったころには、ボクの風景のここそこに「立て看板」が絶叫していた。

「看板」は、壁新聞よりも身軽であった。

簡単に移動し、何事か設置に問題があれば、すぐに撤去して、彼方此方へ。

設置場所が変われば、同じ言葉も別な意味に見えてくる。

観る人々も、変わってくる、人が変われば、感じ方も変わってくる。

白模造紙一枚、張り重ねれば、言葉はどんどん更新できる。

誰か、「看板詩人」、やりませんかね。

面白いですね。


でも、詩人はこんな風におっしゃる。

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長くなった。

つまり、面白い展覧会であった。

その上、老齢者のボクは無料で観ることができた。

群馬の市立美術館は、あちらこちらで老人にやさしい。

それに、第三室の短歌とイラストレーションも楽しかった。

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# by ribondou55 | 2018-10-05 14:27 | ちょっと、そこまで

唐黍に織子のうなじいきいきと  兜太

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 好きな句である。

 作者の故郷である秩父の名産品に、秩父銘仙があった。

 トウモロコシと織子さんと、絶妙な組み合わせだと思われる。

 織子さんのうなじは、働く少女のうなじである。

工女さんのホッとひとときのおやつなら、さぞかし、おいしいトウモロコシであったろうと、・・・。


 ボクは、歯が悪いので、この大きさでやっとである。

 情けない、爺さんなのだ。






 

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# by ribondou55 | 2018-09-27 23:06 | この一首その一句

この頃は、南瓜も悪くない

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 南瓜を三個、土産にもらった。

 十五夜に供えして、膳はかたづけたが、南瓜は置き去りにされていた。

 
 若い頃は、南瓜とサツマイモとうどんが嫌いだった。

 まずいと感じた。

 なぜかというと、亡き母親の影響である。

 幼少期から戦争が終わるまでの彼女の食体験に由来する南瓜嫌い・薩摩芋嫌い・うどん嫌いを受け継いだ訳である。

 いかなる食べ物にまつわる体験だったかは、母親から何度も聞かされた。

 ボクは、母に同情したのだった。

 その子細は、書かない。

 
 ところが、この頃、南瓜も、薩摩芋も、うどんも、厭うことはなくなった。

 どちらかというと、よろしい方に傾く。

 「おふくろの味」から脱するのには、相当な時間を要するものだと云うことが、分かった。


             ※


 ようやく、冬春の野菜の種まき、苗植えを終えた。

 大根は二種類(煮もの用・たくわん用)・キャベツ・白菜・ミニ白菜・ほうれん草・三つ葉・小松菜・水菜・レタス・ルッコラ・人参・タマネギ(苗作り)・春菊。

 大根・白菜は間引きも終わった。


 

 NHKスペシャル「樹木希林を生きる」を観た。

ドキュメンタリーの新境地を開いた。






 



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# by ribondou55 | 2018-09-26 23:45 | 舌の幸い

夏の終わりの旅6//不思議な生き物(喜多方/新宮熊野神社 宝物館)


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目的は、喜多方ラーメンを食べることであった。

時間調整にということで、喜多方の新宮熊野神社の長床に立ち寄った。

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 この建築物は立派なものであった。

 会津という土地には驚かされるばかりだ。

 昨年、一昨年と会津の徳一ゆかりの寺を巡った折にも感じたことだ。

 
 さて、ここには宝物館が付属する。

 大体、古社には寺院が付属するものだ。

平安時代後期にこの地に熊野神社が勧進され、最盛期には300余りの末社や寺院が立ち並んでいたと、ウィキペデアにある。
 
この地でも、明治近代の野蛮の一つである「廃仏毀釈」によって、多くの仏教関連の信仰対象が破壊、破棄されたのだろう。

辛くもというか、幸いというか、村人によって守られ伝えられたものが、展示されていた。

国の重文である「銅鉢」、県の重文「木造文殊菩薩騎獅像」などが広く紹介されている。

それらについては、置いておき、ボクには冒頭二作、不思議な木造が印象に残った。


鎌倉時代の「木造禽獣像」。

熊野神社の使い「月の精」である「兎」であるかもしれないと。

ころっとした形がとてもいい。

次のは、ボクには何だかわからない、もしかすると、竜の頭?

ともあれ、ボクには魅力的。

素朴な信仰心の手触りようなものが、伝わってくる。

どこのどなたが作られたものか。

それをうち捨てずにおいた皆さんもたいしたものだ。


こんなのもあった、ガラスが反射してちょっと見にくい。

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愉快。











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# by ribondou55 | 2018-09-25 09:56 | のらり句らり

秋晴れは今ひとときのダリヤかな   横光利一

 今月二度目の森林公園。

 あの花は見ておきたいと心づもりするが、しばしば見逃す。

 今日は幸いだった。

 植物園に新しく作られたダリア園で、見事に咲いているのを見ることが出来た。

 ダリアの花の多様さと美しさを再認識した。


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# by ribondou55 | 2018-09-22 22:17 | 咲いた咲いた何の花

夏の終わりの旅5//「マムシ毒ばなし」 アーサー・レナード

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その「絵本と木の実の美術館」では、どうやらこの芸術祭では、マムシが主役のようであった。

 美術館の入り口には、竹や木や紙で作られた大がかりなマムシトンネルがしつらえられていた。

 
で、アーサー・ビナードさんの詩を読んだ、書としても魅力的だ。


そこで、ボクの身の上話だが、

ボクは、蛇が嫌いで、とりわけマムシを恐れている。

ボクの畑のあたりでも生息していて何の不思議もない。

ボクは、ちょっと告白すると、

ボクの畑で蛇を殺したことがある。

30センチほどの幼い奴であったが、とっさに草刈きでやった。

それがマムシかアオダイショウかシマヘビか、なんだかは分からなかった。

後味が悪くて、何度もナムアミダブーと口の中で唱えた。

ボクは、車の運転中でも、轢かれた猫や狸を見かけると南無阿弥陀仏と唱える。

唱えて落ち着く。

 
で、こんな詩もあった。


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殺し殺される、これは数の問題でないが、やはり強者と弱者ははっきりしている。

自明である。







 

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# by ribondou55 | 2018-09-21 23:46 | この一首その一句

夏の終わりの旅4//いにしへに変はらぬものは荒磯海と向かひに見ゆる佐渡の島なり  良寛

 旅の三日目の宿は、寺泊の港に面して在った。

次の朝、出雲崎の良寛堂に立ち寄り、柏崎へ。
 
そこから十日町に抜け、大地の芸術祭をちょっと覗き、帰宅の途についた。


 寺泊も、出雲崎も良寛さんのゆかりの地である。

 特に出雲崎は誕生の地である。


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この良寛さんの像の背のお堂は良寛堂、像の正面には佐渡が臨まれる

ここに来たのは三度目。

長い間、ボクは良寛さんに惹かれてきた。

この像のお顔を拝むわけではない。

良寛さんは、きっと、拝まれたりしたら照れてしまわれるだろう。


昨晩の寺泊の宿は夕日を観るに格好の部屋を用意してくれた。


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しかし、水平線に落ちる場面は見逃した。

宿に着いて一服したあと、かつて良寛さんが棲んだという密蔵院というお寺に参ろうと出かけた。

だが、宿の裏におられたあの勇ましいポーズの日蓮さんに挨拶などしている内に、日は大いにかたむいて、慌てて宿に戻ったのだが、既に日は落ちていた。

で、密蔵院にはとうとう行けず仕舞い、夕日の決定的瞬間も見逃した。

とろいボクにはよくありがちな残念さである。


その密蔵院の境内に建つ歌碑にはこの歌が刻まれているという。

おほとのの はやしのもとをきよめつつ きのふも けふも くらしけるかも
          (大殿の林の下を清めつつ昨日も今日も暮らしけるかも)

後日、また改めて。






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# by ribondou55 | 2018-09-20 15:26 | この一首その一句

夏の終わりの旅3//「鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館」以前、真田小学校のこと

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この美術館についてのHPではこんなふうに。


「鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館」は、新潟県十日町市の鉢集落にあります。
JR十日町駅から「鉢」行きの路線バスに揺られ、市街地を抜け、信濃川を渡り、山を越え、谷を越え、また山を登ると現れる、すり鉢の形をした集落。
ここ「鉢」にある、2005年に廃校になった真田小学校が、2009年7月26日、空間絵本美術館として生まれ変わりました。
美術館は丸ごと、絵本作家の田島征三さんが長年思い描いてきた空間絵本です。
絵本のタイトルは『学校はカラッポにならない』、主人公は真田小学校の最後の在校生だったユウキ、ユカ、ケンタの3人。
そして学校に棲む、夢を食べるオバケ「トペラトト」、夢をつぶすオバケ「ドラドラバン」…。
その世界を表現するのは、流木や木の実、和紙を使ったオブジェたち。
「鉢」の人たちと多くのボランティアスタッフの力で、田島さんのイメージがひとつひとつ形になり、空間絵本が現実のものとなりました。
「鉢」の美術館へ行ってみよう。
そう思った瞬間が、空間絵本の始まりです。
美術館への道のり、鉢集落、美術館そのもの。
すべての空間をそれぞれの感性で味わえる作品。
それが「鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館」なのです。    文 高橋真理子




廃校になった校舎に美術館が出来たと言う経過は分かった。

では、肝心の真田小学校はどんなだったのか?

ネットを当たると「学舎の記憶 新潟を中心とする廃校を旅するブログ」に真田小学校が紹介されていた。

■学校データ

創立:1874年

・第六中学区第三番小学新町新田校附属鉢校として開校。

・1879年に第十四中学区第九番小学公立山谷校附属鉢校と改称。

・1885年に第十二小学校区鉢小学校と改称。

・1887年に簡易科真田小学校と改称。

・1892年に真田村真田尋常小学校と改称。

・1902年に町村合併により吉田村立真田尋常小学校と改称。

・1941年に吉田村立真田国民学校と改称。

・1947年に吉田村立真田小学校と改称。吉田村立吉田中学校真田分校を併置。

・1954年に市町村合併により十日町市立真田小学校、十日町市立吉田中学校真田分校と改称。

・1981年に吉田中学校真田分校が閉校。

閉校:2005年

コメント:

現在は絵本作家・田島征三氏による空間絵本美術館「絵本と木の実の美術館」として利用されている。2006年に行われた「大地の芸術祭」で作品展示場として利用されたあと、2009年に美術館として開館した。

グラウンドが駐車場として利用されている以外は、校舎も体育館もほぼ当時のままのようだ。

体育館近くの草むらにプール跡があるが、草に隠れていて横からではよく見えない。上を通る県道から覗いてようやく形が確認できた。



上の二枚の画像は、いまは美術館になった壁に残された、謂わば真田小学校の記憶のひとつ。

ボクは、ちょっといい気分にしてもらった。

子どもは学校で何を学ぶのか。

学校は子どもに何を教えるのか。

よく分かる。

この校歌は、いつの頃に作られたのかは分からないが、歌詞がよい。

いい気分にしてもらった。






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# by ribondou55 | 2018-09-19 22:57 | よしなしごとあれこれ